ひとりぼっちランチの便所飯をする理由を知ってください

カルチャー

東京おひとりさまランチではじまったといわれる、ひとりぼっちのランチは 今では普通のこととして受け入れられています。
「ひとりぼっちでランチをする気持ちがわからない
」といい、「誰か」を誘ってランチする気持ちもわかりますが、ひとりで気楽に行くランチもまたいいものです。

最近は、自分でひとりぼっちを好む、ぼっちツアーはたくさんあります。

そんなときに「便所飯」ということを知って驚きました。
娘の学校でもいたそうです。すごい時代になったものだと思います。

ちなみにぼっちという言葉は、仏教が由来でした。

友人がいない人が一人で食事をして居る所を見られるのが恥ずかしくて、便所の中で一人きりで食事をする事を「便所飯」と言うそうでが、私にはその気持ちがわからないです。

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そもそも便所飯と言ったネーミングは、ネット上で2005年初期に掲示板にて命名されてらしいですね。

実際にそのような行為(便所飯)は古くから行われていたとも言われていて、以前に「ランチメイト症候群」と言われていた時期もある様ですが、正式な症状名ではないそうですよ。

究極のひとりぼっちランチである便所飯にならざるを得なかった理由とはなんでしょうか。。

ところでユーチューブで ひとりぼっちの気持ちがユーチューブにアップされていました。ひとりぼっちランチの気持ちがわからない人 一度聞いてみてください。
ぼっちだった高校生の頃の話。

どうしてひとりぼっちランチで便所飯をするの…?

 私は最初ひとりぼっちランチで便所飯をする子は、いじめられていて、その子達を避けるために見られないように隠れるためと思っていました。
けれど、どうも違うのですね。

いっしょにランチを食べようと誘ってくれる友達がいない → ひとりぼっちで食べるとみんなが見る → 友達いないと思われる → 恥ずかしい

つまり、「行為を見られるのが嫌」というプライドの問題が大きいようです。

ひとりぼっちで食事をする人は、劣等生であり恐怖を感じているからトイレに籠り便所飯になるらしいですが、他にも、ひとりぼっちでも食事を出来る場所はたくさんあったと思います。

なぜひとりぼっちになる場所が、便所(トイレ) なのでしょうか?
私にはその気持ちがわかりませんでした。

人は常に「安全な場所」を探している

なぜか知らないけど、いつもないと不安なものがある。

嫌なことがあると、必ず見たくなる写真がある。

家に帰るとほっとする。

部屋から出たくない。

こんなことはありませんか?

カウンセリングの心理士の先生に聞いたのですが、人には「安全な場所」が必要らしいです。

心からくつろげて、誰にも命令されることもなく、安心できる場所。
それはモノでもいいそうです。まず最初に自分の心の安全な場所を作り、そこに戻ることによってバランスを取っている、誰にも必要な場所らしいです。

それが家庭であり、家族であり、自分の部屋であるのが一番理想的なことですが、今の複雑な社会の中で家族形態も変わり、自分の家にも居場所を見つけられない人がたくさんいます。
また、トイレは個室ですよね。

空間から遮断されている自分だけの空間が彼らには必要なのではないでしょうか?

見られる恥ずかしさだけでなく、公園だとしても、人がいる共有空間には違いなく、安全ではないのです。
家から出てしまうと、彼らには「安全な場所」がなくなってしまうのです。

ひきこもりと同じく、安全な場所に入ってしまった彼らが自分から出てくるまで、人が無理やり彼らにとっての危険な場所である外にひっぱりだすことはできないのです。

ひとりぼっちが恥ずかしい理由は、非常識な自分が恥ずかしいと思うこと

ひとりぼっちと言った、言葉に現代の若者たちは異常な関心を持っているそうです。

なんでも、大学の食堂にはぼっち席と言うのが作られたそうですが、この一人席で食事をしているのを見られ、友達がいない、ひとり「ぼっち」と思われる事がとにかく恥ずかしくてたまらないのだそうです。

昼休みの時間に、みんなで自由に席を囲んで食べている時にひとりぼっちになる事で友達がいないやつと思われる事がたまらなく恥ずかしくなるんだそうです。

そんなひとり「ぼっち」の中では、たとえ自分の興味ある事でも周りの仲間との意見と違う可能性を感じた場合には、ひとり「ぼっち」になりたくないと言った意志から自分のやりたい事を諦める位に恥ずかしいのだそうです。

どうもその背景には世間体があるようです。

「食事は誰かと食べるもの」が常識であり、世間なのですね。
なのでその常識から外れている自分は世間体が悪い、非常識である、悪い自分が恥ずかしいのですね。

友達がいないと思われるのが恥ずかしいのではなく、実は自分が非常識なのが恥ずかしいと思っているのではないでしょうか。

もしもこれがどこかの外国に行って、そこでは家族であろうと子供であろうと誰もが一人で食事をするのが常識の国ならば、恥ずかしくはないでしょう。

一人になりたい時だってあるはず

反対に 人はいつも友達と一緒にいる訳ではなく、時には自分の意志として一人で居たい時だってあるし、一人の方が安らぐことだってある。

自分でぼっちを選んだ、と考えてはどうでしょうか?

思春期のころ、私も異様に「人に見られて恥ずかしい」と思っていた時期がありました。
ある人に、「人は思っているほど君のことなんかなんとも思っていないんだよ。」と言われてハッとしたことがありました。
それから、人目を気にすることはなくなりました。

便所飯をやめる日を、週に一回作ってみませんか?

 

 

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