夏休みも後半に入ってきました。
そろそろ夏休みの課題も気になる頃ですね。
私は本当に勉強を真面目にした記憶がありません。もちろん、定期テストの前日にはあくる日のテストの勉強はしますが、全科目入れて1時間半か2時間程度。
先生から配られたプリントを覚えるだけでした。
そこからテストの問題がうまく当たればラッキーで、出なかったら撃沈。
小学校から大学まで、宿題はすべて良き友達にノートを写させてもらって自分では何もせず。
それでなんとか卒業したという感じです。
夏休みの宿題もなんのその。
始業式の1週間を切ったころに焦って友達の家に電話をかけまくり、また家に押しかけてノートを写させてもらい、めちゃくちゃでした。
始業式に揃うはずもなく、学校が始まってから写させてもらって最終締め切りになんとか提出という感じでした。
これが私の夏休みの思い出です。
今は本当に真面目に勉強しておけばよかったと後悔しています。
ただ、読書感想文だけは写させてもらうわけにはいかず、まあ本は好きだったので過去に読んだものとか適当に書いていたように思います。
今回の読書感想文のお勧めの題材として、芥川龍之介の「芋粥」はいかがでしょうか?
芥川龍之介「芋粥」は今昔物語の芋粥が原題
「芋粥」は「羅生門」「鼻」「蜘蛛の糸」と並ぶ芥川龍之介の作品で「今昔物語」を題材にしています。
芥川龍之介「芋粥」あらすじ
朗読ビデオを見つけましたよ!これを見てイメージをつかんでください。
芋粥1/5(芥川龍之介)朗読
「芋粥」に出てくる主人公の「五位」は名前ではなく、宮中で働く人の官位名です。平安時代の京都、摂政である藤原基経に仕える侍で、わかり易く説明すると今でいう公務員といったところでしょうか。
ただ、五位の風貌はみすぼらしく、顔は赤くただれ、鼻は長く垂れていて、同僚はおろか近所の子供たちまでもがバカにする始末。もちろん仕事がバリバリできるタイプではなく、このように周囲から冷遇されていてもほとんど反論できない臆病な男で、日々控えめに生きていました。そんな五位にも一つだけ叶えたい欲求がありました。お正月や記念日などでしか食べられない当時としては高級料理である「芋粥」を腹一杯に食べることです。
ある集まりで五位はそのことをふと漏らしてしまいます。それを聞きつけた同じく基経に仕える「藤原利仁」から「貴様の願いかなえて進ぜよう」とばかりに五位を無理矢理誘います。
「すぐ近所だ」という利仁の言葉にのこのことついていく五位。ところがいつまでたっても目的地にたどり着きません。結局丸二日かけて京都から福井県の敦賀までの長旅となります。
その間、五位の心には「芋粥」を食べたいという欲望と、その願いが叶ってほしくないという矛盾した感情に捉われてしまいます。ようやく着いた家の庭では巨釜に芋粥が山のように炊かれていました。
それを目の当たりにした五位は喜ぶどころか、むしろ悲しい気持ちになりました。利仁にうながされた五位は芋粥をおなか一杯どころか、ほんの少し口にしただけで箸をおいてしまいます。
「芋粥」を欲しいと思う気持ち、それがいざ叶っていしまうと、今まで願っていたころの思いが幸せだったと実感するという人間の欲への悲しい心理を「芋粥」は表現しています。
今昔物語 芋粥 の五位とは
「五位」はその当時の殿様の屋敷で住み込みで働く近侍です。全ての「五位」が任官できるわけではなく、今のサラリーマンなどよりも競争は熾烈で、同じ五位でも「藤原利仁」は地方の豪族の娘婿となり、宮中での影響力を大きくしていきます。一方の主人公である「五位」は生まれ持っての才覚もなく日々与えられた仕事を地味にこなしていいけばいいという元来の出世思考もない男でした。このため仕事ができる者とそうでない者との格差はまさに「雲泥の差」だったようです。
なぜ五位は貧乏だったのか
熾烈な任官競争に勝てなかった主人公の五位は近侍ながら、貧官であったと思われます。宮中で使える仕事をしていたため、住むところには困ることはなかったようですが、元来目立たず、おとなしい性格のため、まともな仕事が回ってくるはずもなく、最低限の収入であったと思われます。故に自然と生活や恰好も品祖となり、「芋粥」をおなか一杯食べることが彼の唯一の夢となっていたのでしょう。
さいごに。芋粥のまとめ
この作品は二つのことを伝えようとしています。
まず、「欲求」や「願望」はそのことが叶うまでが嬉しいのであって、いざ叶ってしまう、「五位」のようにしかも簡単に叶ってしまうと、願望を持って生きていた頃が懐かしく思う。これに似たような心理が恋愛にもありますよね。ずっと片思いだった人と晴れてお付き合いをするようになる。すると片思いの時の熱い情熱はどこへやら、現実の相手に失望するばかり、結局別れてしまう結果に・・・。とこれは私の体験談ではありませんよ。
それと、もう一つ「人間は長い間一定の環境にいると、変化よりも安定を求めてしまう」つまり「五位」のように目立たず地味に生きてきた人間にとって今更自分を変えようとは思いません。
彼にとっては「雨風をしのげる生活」こそが理想であり、スタイルだったんでしょうね。故に、「綺麗なお嫁さんが欲しい」だとか、「立派な屋敷に住んで家来をたくさん抱えて威張りたい」などとは露ほどにも思わず、「芋粥をお腹一杯に食べたい」という他人からは想像のつかない小さな願い事を胸に日々生きていたのでしょう。
ところが、思わぬ形でその願いが叶ってしまう。変化を望まない人間が第三者によって変化(ささいなものですが)をもたらされる。このことに狼狽する「五位」の哀れな心理を伝えています。
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