有馬温泉の温泉は日本最古の湯です2015

カルチャー

有馬温泉は、日本最古の温泉と言われています

有馬温泉は道後温泉 白浜温泉と同じように日本最古の温泉といわれています。
神代or631年舒明天皇(631年)や考徳天皇が行幸した。(古事記:712年、日本書紀:720年)と記されています。

私は2015年の有馬温泉宿「古泉閣」の温泉旅行で温泉(ゆせん)神社に行きました。
同じ境内に温泉寺があり、薬師如来が祀られています。

湯泉神社(ゆせん)神社とは

日本古来の温泉「有馬温泉」の中心に鎮座し、有馬の氏神として崇敬されています。草創期におけるご祭神である大己貴命(大黒さま)少彦名命(医薬の神)からのちに熊野久須美命をお祀りすることになり、現在では三神をお祀りしています。

神代の昔、ご祭神の二神(大己貴命(大黒さま)少彦名命(医薬の神))が、病気に悩む人々を救うために薬草を探しに国々を旅していた時、傷ついた三羽のカラスが赤い水を浴び、傷を治療しているのをごらんになり、有馬の温泉を発見したと伝えられています。

有馬の温泉を教えたとされる三羽のカラス
神戸っ子アーカイブより
resazed 三羽のカラス 神戸っ子アーカイブ

ついで、仁西上人有馬再興(1191年)の伝記の頃から、熊野信仰の影響を受けて、熊野久須美命を併せ祀り、有馬温泉鎮護三神と呼ばれるようになりました。

湯泉神社は有馬温泉の温泉街のはずれにあります。
階段を登った小高い山の上にあります。それほど急でもなく、不思議と疲れませんでした。

湯泉神社に行く階段を上るところを右に曲がると「滝本神社」があります。有馬温泉には、小さい神社がたくさんあります。

滝本神社
右に曲がると滝本神社があり、近くに兵衛閣IMG_0232
右に曲がらずにまっすぐ階段を登った上に湯泉神社があります。

階段を登った上に神社があります
石畳が続きます。

石畳が続きます
途中の椿に「ほっ」。
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湯泉神社が見えました。
湯泉神社につきました
湯泉神社に着いたと思ったら、まだ上に上がります。

神社の鳥居入り口
神社の鳥居が見えました。

神社の鳥居
階段を登った上に神殿が。
階段の上に神殿があります

湯泉神社の近くには「銀の湯」があります。

有馬温泉wiki

resazed 銀の湯 有馬温泉wikiより
湯泉神社の境内の中は神様がたくさん

小さな鳥居や祠がたくさんありました。

ユニークな狛犬
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有名な兵衛向陽閣です。
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境内には湯泉寺があります

同じ境内に湯泉寺があります。正式名は有馬山温泉禅寺です。湯泉寺の本尊は行基に有馬温泉を教えた薬師如来です。
(wikiには(おんせんじ)と書いてありました)
湯泉寺

湯泉寺の五輪塔湯泉寺五輪塔

五輪塔について
温泉寺には 芸術的しゃちほこがありました。その横に有馬温泉歴史博物館?がありました。

IMG_0219 芸術的しゃちほこ

温泉寺の横の有馬温泉の歴史博物館
湯泉寺のとなり
中が展示場になっています
有馬温泉の歴史

ここに有馬温泉の歴史が書いてありました。初湯式(入初式)を再現した行列もありました。
湯もみ行事
湯もみ行事

有馬温泉は正月二日に入初式が行われます。

有馬温泉入初式は、江戸時代から続いている伝統行事で、「神戸市地域無形民族文化財」にも認定されています。

有馬温泉を発見されました大己貴命(おおなむちのみこと)、小彦名命(すくなひこなのみこと)と、有馬温泉を再興されました恩人である行基菩薩・仁西上人に、報恩と温泉の繁栄を祈念して行う儀式です。

また、練行列や有馬の芸妓が扮する湯女衆が湯もみ等を行う、新春を寿ぐ行事でもあります。

温泉寺で「としのはじめ」を全員で歌い、練行列が出発します。湯泉神社の神輿と、行基上人像・仁西上人像を乗せた温泉寺の輿が担がれます。


入初式
入初式について
入初式
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入初式について詳しくは、とはこちらをご覧ください。
有馬温泉観光協会公式HPより引用
http://www.arima-onsen.com/history.html

 行基と薬師如来

「有馬温泉史話」によれば、舒明天皇・孝徳天皇の度重なる行幸により世間に名をしられるようになった有馬温泉ではありますが、その後徐々に衰退に向かっていった有馬温泉を再盛させたのが名僧行基と書かれています。

行基とは日本で最初の大僧正
行基は奈良時代の高僧です。日本で最初の大僧正の位を授かりました。
聖武天皇(701~756)の信任あつく、主に池を築き、溝を掘り、橋をかけ、お堂を築く社会事業を各地で成し遂げ、貧しい人々に大きな業績を残した高僧といわれています。

また 聖武天皇により奈良の大仏東大寺)造立の実質上の責任者として招聘され、東大寺の「四聖」の一人に数えられています

行基と薬師如来の出会い
行基が大坂平野の北、伊丹の昆陽に大池(昆陽池)を掘っていたときのこと、一人の人に会いました。その人は「私は体の中に悪いはれ物ができて、数年来苦しんでおります。聞くところによりますと、有馬の山間には温泉があり、病気にはたいそう良いそうです。私をそこへなんとか連れて行ってくださいませんか。」と頭を地に付けて懇願しました。行基はその人の望みを叶えるため、有馬に連れて行く途中、さらにあれこれと望みごとを頼むその人の願いをかなえてやると、不思議なことにその人は金色荘厳なみ仏の姿となり、「有馬温泉を復興するように」と言って紫雲に乗って東方へ飛び去ってしまいました。

行基は感嘆のあまり、如法経を書写して泉底に埋め、等身大の薬師如来像を刻み、一宇の堂を建て、そこへ尊像を納めたといわれています。
それから今も有馬温泉は栄えることとなりました。
薬師如来について

このような歴史を知ると、有馬温泉も別の趣が出てきますね。
ぜひ一度有馬温泉の温泉に入ってみてください。

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